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膨大なテキスト或いは世界観を持つ原作をアニメ化することの困難さについて

タイトル長いよ。
そもそもアニメ化(映像化)を割と安易な原作の販促として用いる出版社等という背景がありますが。それら大人の事情を踏まえつつ、失敗例としてひぐらし・獣王☆・西魔女他、好例として蟲師・涼宮・ホスト部他に言及してみたりなんかしちゃったりしようかとか思ったりしたんですけど。(長いよ)やむなく落とすことになってしまった作品への言い訳みたいなものです。
いつものことですが上記のアニメ作品に心酔している方は読まないで下さい。時間を無駄にしたくない方も然りです。




-- -- -- -- キリトリ -- -- -- --


まず、テキストの多い原作を脚本に纏めるということ自体、難しい。
例えば「ひぐらしのなく頃に」だと原作ファンの方の感想等を拝見すると如実で、割愛されているエピソードがかなりあるらしく、それがあるのとないのとではキャラの行動の説得力に相当の違いがでてくる様子だ。また、過去の事件などを全て人物の口から語らせなければならず、その説明台詞の多さはドラマを平坦にしてしまう。[※この記事を書いた頃は1クールだと思ってました、悪しからず]

それから「西の善き魔女」。原作者の別の作品である勾玉シリーズなどは一冊で1クールでもおかしくないような密度だと思う。こちらの方は相変わらず未読だが、だいたいの文章量を見るかぎりではせいぜい2、3冊に1クール位が妥当なのではと思われる。展開の急さは初回から解っていたことではあるが、シリーズの終盤になってから明かされる、物語世界に隠されていた一つの大きな<謎>はどうしても唐突である印象になってしまう。それは、それまで人間関係のドラマに集中していた視点を乱暴にセカイへと拡張させられてしまうことに、視聴者が戸惑ってしまうためではないだろうか。

これは「獣王星」にも言えることで、ついさっきまでは一人の人間の生き死にに葛藤していた主人公が突然に人類の滅亡うんぬんの話に放り込まれる、という展開はもちろんアリなのだが(原作通りのはずなのだが)、それに一話分の区切りだけでは足りないのである。もっとも、こちらの原作は漫画の単行本3冊分なので上の二つに比べると多少その弊害は緩やかかもしれないし、マイナス評価になってしまう別の要因、個人的な心情があるが。

つまりこれらの作品を1クールでアニメ化(映像化)しようとした時点で失敗、と言ってしまっても過言ではないかもしれない。エピソードをカットするつもりがないのならば、そこには原作のダイジェストとしてのアニメという道しか残らなくなる。が、そのダイジェストに徹底したとしても、単行本20巻程度[※文庫版の誤り。単行本は46か?]に1年を要した「ガラスの仮面」を観ても明らかなように、原作の魅力を<纏める>ことは出来ても<増す>ことは不可能、と言っても良い。

全体は細部から成り立っている。主題から外れたエピソードは、一見削除しても問題がなさそうだがそれらは間違いなく血肉として作品を構成している一部であり、よほど細心の注意を払った選別がなされなければ破綻が生じてしまうのだろう。(そういった意味で、シリーズ構成及び脚本はジェンガにも似ているかもしれない。)


さて、そこで「蟲師」である。この作品が幸福だったことの一つには、監督が最高の読者だったという事だ。そして原作の量がさほど多くなく、さらに一話完結であったこと。アニメ化にあたりその形式を忠実に守ったこと。高い映像技術が取り上げられることの多い作品だが、成功した秘訣はこの辺りにもあるかもしれない。「監督が~」というのは、原作の長所が増幅されている、と一視聴者である私が感じただけにすぎない。以前に原作を読んだ時、変わった設定と世界観だとは思ったものの、そこまで魅力的な作品とは感じられなかったが、総天然色で声と音楽と共に動き出した「蟲師」は圧倒的だった。しかし上記した通り、この魅力は作画や演出の稀有なほどのクオリティがあってこそのもの、とも言える。(また、原作に忠実すぎるのも考えもので、例えば『天辺の糸』などでは原作そのままの脚本が災いし、いわゆる「らぬき言葉」までそっくり同じだった。まあ、本来は編集者が気付べきだとは思うが、それにしたって脚本でも音響監督でも演者でも、どこかで直らなかったものだろうかと思ってしまう。)

そして人気作、「涼宮ハルヒの憂鬱」。これはもう何度も述べたがシリーズ構成の勝利で、原作販促の意図があったのかどうかは知らないが、効果は抜群だったのだろう。この作品はテキストも相当多いのであろうに、その省略にかなり成功している(ように見える。あくまで未読者の目から見て、だけど)。サービス精神が旺盛な、本編とは関係のない部分(バトルシーンなど)への力の入れようもプラスに働いているのだろう。


そしてそして誰が何と言おうと「桜蘭高校ホスト部」である。実はこの作品も、原作を読んだ時は「それなりに面白いけれど」程度の印象だったのだ。ところが。主題をくっきり浮かび上がらせつつギャグを魅せる脚本、その意図を汲み取った演出、良質の作画と適切な配役。これを面白いと言わずして何を面白いとするか!!てなもんである。

ちょっと脱線した。えーと。実はこの作品も、一話完結式である。しかも、ヒロインのパーソナルに踏み込む部分が多い話と、ホスト部あるいはメンバーの紹介的な話とをだいたい交互に配してあるのだ。(…たぶん。)その辺りにも絶妙なバランスがあるわけで!(強制終了)

あとアカギは成功例だと思っています。


まあ、何が言いたいかっていうと、同じ原作の販促でも「アニメ観てるだけじゃ話が今一つ読めず、仕方ないから原作を買おう」というのと「アニメ観たらすっかり興味が湧いて、原作を読んでもっと深く知りたいから買おう」というのでは大違いですよねえ、という話。買えば同じじゃん、と思われるかもしれないが(事実制作サイドはそう思ってるのだろうが)前者の場合は買うまでいかずそのまま諦める可能性が高い、はず。

どちらにしろなるべく原作を買わずに済ませようとする私が言えたことではないが、少なくとも蟲師の場合は驚くことにアニメによって原作が1.5倍くらい良く見えるようになり、つい最新刊を購入してしまった。ホスト部の方は買おうとは思わないけど…あれはアニメならではの良さだから、原作を買うくらいならDVDを買うだろう。涼宮もアニメ的な良さだと思う。

結論として、いくら面白い原作を基にしていようとも、巧みな構成と脚本がなければ面白いアニメ作品になる可能性も閉ざされてしまう、ということ。土台があってこそ、演出も音楽も作画も活きる。(これは全ての作品に言えることではあるが、原作物は意外にそこがおろそかになっているものが少なくないと感じざるを得ない。)


6/20 一部訂正


次回、「オリジナルアニメ作品について」。

次々回、「問題は配役であって演技ではない」。

(両方うそ)

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【2006/06/19 18:45】 | こらむ? | コメント(0) | page top↑
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